中国の見どころは、必ずしも発展著しい大都市や、30にのぼる世界遺産だけではありません。中国全土それぞれのエリア・街に独特の個性があり、たとえ有名な観光スポットであっても、見逃されがちなポイントは数多くあるのです。知って得する観光情報はこちらから!
世界遺産:故宮
(10.05.19)
所在地
:
北京市
明の永楽帝・朱棣が1403年に即位してから着手した大事業は、自分のために豪壮で広大な宮殿を造ることでした。72万平米の広さの中には、宮殿や楼閣786棟が魚のうろこのように整然と並び、建築当時の部屋数は9,000以上もあったといいます。紫禁城は中国最大の皇帝の住まいで、黄色い瑠璃瓦と赤い壁は宮殿のベースカラーになっています。この色の組み合わせは中国の古代思想を元にしたものです。上空から紫禁城を眺めると、天安門、端門、午門をくぐった奥が紫禁城内になっています。建物は一直線上に並び、永楽帝以降も23代の皇帝がここで暮らしました。
1900年に義和団が北京に入城した際、外国公使館が並ぶ東交民巷は紛争の最前線になりました。中国の様子をじっと伺っていた列強国にとって、最高のチャンスがめぐって来たのです。八国連合軍が武器を手に次々進入し、北京を陥落しました。また連合軍は北京の主導権を握り、故宮内の文献や国宝も数多く失われました。1931年9月18日には日本が9・18事変(柳条湖事件)を起こし、わずか3ヵ月の間で日本は東北三省を占領しました。1933年3月、日本軍は北京から直線距離で50キロ足らずの熱河(現在の河北省・遼寧省・内モンゴルの交界地帯)全域を制圧し、その後2日で北京を占領しました。当時、北京の人が心配したのは、1925年10月10日に設立された明・清代の文物100万点以上を保管する故宮博物院でしたが、1931年末から博物院の文物は南方へ運ばれるようになっていました。
1938年12月、南方へ移送された計1万9,650箱の文物は、すべて南京の朝天宮倉庫に収められました。1937年に日本軍が上海占領後、その矛先を南京へ向け始めたため、中央政府は首都を武漢に移すことを決定し、文物もさらに移送されることになりました。南京から運び出された文物は、貴陽に向かって北線、東線、南線の3路を辿り、最終的には四川への移送が決定されました。故宮を出発した文物は、10年近い間ずっと戦争の硝煙の中をさまよい続けたのです。
1945年8月、戦争が終結し、あちこちを渡り歩いた文物たちはやっと故郷に戻れることになりました。しかし南京へ到着し、北京への移送が確定していない時期に、国内の政治情勢に大きな変化が生じました。1948年後半に蒋介石は台湾へ移る準備を開始し、1949年1月、国民党政府の命により南京にあった故宮の文物から選び出された2,972箱および中央博物院と中央図書館などにあった数千箱の文物が台湾へ送られました。1965年、台北市の外双渓に作られた故宮博物院の展示品は、ほぼ全てが北京から南へ送られた文物たちで、数量から見ると台湾へ送られたものは当初の4分の1にあたりますが、どれもトップクラスの逸品ばかりです。
歴史の紆余曲折を経た故宮は今も静かに北京の中心に鎮座し、中国人みんなの心に深く根ざしています。
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