中国の見どころは、必ずしも発展著しい大都市や、30にのぼる世界遺産だけではありません。中国全土それぞれのエリア・街に独特の個性があり、たとえ有名な観光スポットであっても、見逃されがちなポイントは数多くあるのです。知って得する観光情報はこちらから!
世界遺産:都江堰と青城山
(10.06.16)
所在地
:
四川省
戦国時代の成都平原では、軍事用として初めての水利工事が行われ、大きな河川がその流れる方向を変えました。その後2千年以上を経て、成都平原は「天府の国」という誇らしい名称を得るようになったのです。この水利工事こそが、「都江堰」です。
紀元前4世紀末、全国統一前夜の中国は、戦国の諸雄が力を競い合う混乱の時期でした。北方の覇王である秦国の大将軍・司馬錯は、まず南に隣接する蜀を攻めて占領し、同国の地理を利用して長江上流域を制圧し、川を下って唯一秦国と力が拮抗していた楚を攻めようと戦略を立てました。この「蜀を得ることすなわち楚を得る」「楚が滅びるすなわち天下を得る」の戦略は秦の恵文王に認められ、紀元前316年に蜀は滅亡しました。
秦が蜀を滅ぼして30年を経た紀元前280年の秋、司馬錯は兵を引き連れ楚を討つために南下しました。しかし、秦軍は楚の商喻(現在の重慶市涪陵)を落としたものの、兵馬や物資をすぐに調達出来ないことから同地で進退きわまり、引き続き進軍することが出来ませんでした。そこで、岷江を分水して元々は蜀の都だった物資調達地・成都までつなぐ方法を考えた司馬錯は下準備を始めました。それから8年を経た紀元前272年、秦によって蜀の太守に封ぜられた30歳になる李冰が現地に到着し、同270年から巧妙な治水案を制定しました。この工事が戦況を変える大きな鍵になったのです。
14年後の紀元前256年、世界水利史上空前の都江堰が竣工しました。それからは上流の木材を成都まで運んだり、兵馬を供給したり、軍船の往来も非常に便利になりました。紀元前223年、秦は百万以上の大群を率いて成都から都江堰を下って揚子江に入り、楚を討ち滅ぼしました。その2年後に全国統一を果たした秦は、中国史上初の中央集権国家になりました。
都江堰の完成から秦朝を経て前漢までの400年あまり、四川省あたりは空前の繁栄を見せました。西暦143年、長い袷を着た100歳になる老人が長旅の末、都江堰の南側にある青城山のふもとにやってきました。彼はそこで中国唯一の自国発祥の宗教・道教の一派である「天師教」を開きました。この老人こそが開祖・張陵です。
青城山の上には今でも、道教風色彩の建築物がたくさん見られます。張陵が修行した天師洞大殿の前には陰陽を象徴する乾坤や五行八卦の太極図が刻まれ、天と人を結ぶ最高の境界を示しています。かつて沢山の著名な道士たちがここで修行し、道教文化を発展させてきました。
8世紀の半ば、著名な道士・清虚子が硫黄と木炭、硝石を使って練炭を作り、燃料にした時に爆発が発生し、これが中国の爆薬の誕生になったのです。
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