中国の見どころは、必ずしも発展著しい大都市や、30にのぼる世界遺産だけではありません。中国全土それぞれのエリア・街に独特の個性があり、たとえ有名な観光スポットであっても、見逃されがちなポイントは数多くあるのです。知って得する観光情報はこちらから!
世界遺産:峨眉山•楽山大仏
(10.07.07)
所在地
:
四川省
唐の貞元19年(西暦803年)に大仏が完成して以来、楽山の大仏は世界最高の仏像として知られています。タリバンによってすでに爆破されたアフガニスタンのバーミヤン大仏は高さ55メートルでしたが、楽山大仏はさらに16メートルも高いのです。また、今日まで1199年間もその姿を留めていることも世界記録になっています。
唐代の《大像碑記》によると、唐の開元元年(713年)、凌雲山の海通和尚が三つの河の合流地点で起こる水難事故を防ぐため、ここに大仏を建立することを思い立ったといいます。そこで強い意志を抱いて資金集めを始め、岩肌を削って大仏作りを開始しました。工事は90年あまりも続き、水流は緩やかに事故も格段に減少しました。仏像を削った時にできた大量の石粒が河へ流れ込み、流れをせきとめたからなのですが、河の上り下りに大きな役割を果たすようになりました。
南北朝時代、大仏はすでに姿を現していました。山西省大同の雲崗石窟から河南省洛陽の龍門石窟まで、巨大な仏像はいろいろありますが、弥勒仏はそれほど多くありませんでした。弥勒仏をリアルに再現したのは、中国初の女帝・武則天でした。武則天は自らを弥勒仏の化身だと思っていたため、各地で弥勒仏像の建立を奨励したほか、より大きなものを望みました。楽山で大仏が作られた時、武則天の死からすでに何年も経っていましたが、完成したのはやはり弥勒仏でした。
楽山から西へ36キロ、天地の間に壮大な風景が広がっています。この雄大な山は、李白の著名な五言古詩「登峨眉山」の中で「青冥倚天開、彩錯疑画出」と詠まれた峨眉山です。遠くから見ると少女の細長い眉毛のように見えるので、この名がつきました。主峰の万佛頂は海抜3,099メートルもあり、雲の合間に浮かぶような姿から、李白は「天へ突き抜けるようだ」と表現しています。
峨眉山は聖地として長い歴史を持ち、後漢時代には道教の伝道を司る場所でもありました。西暦420年、インドの高僧グナバッタラが中国にやって来て、法顕和尚と共に「華厳経」60巻を編さんしました。この中の「菩薩住処品」には、峨眉山が「菩薩が出現する所」と記しています。この頃から峨眉山には仏教の寺が次々建立されはじめ、仏教文化が成り立つようになりました。北宋の太平興国5年(西暦980年)、宋の太宗が成都で鋳造した銅製の普賢菩薩像を山中にある万年寺に安置し、これに続いて華厳、中峰、霊岩などの寺院を建立しました。このことから、峨眉山は山西の五台山や浙江の普陀山、安徽の九華山と並んで「普賢菩薩の中国4大聖地」とされるようになったのです。
峨眉山の頂上・金頂は雲海や日の出など珍しい風景が見られる貴重な場所として知られています。峨眉山はふもとから主峰の万峰頂まで、高さが2,600メートルあります。高低差がとても大きいため、亜熱帯から温帯、寒帯まで複数の気候が分布しています。金頂にある華藏寺は1年の半分以上を厚い雪で覆われているのです。
峨眉山は「山一つに四季があり、十里で天気が変わる」と言われるほど気候が場所によって違います。様々な植物が自生し、樹齢1,000年以上の古木は70種類以上、1万本を数えます。峨眉山の山中で見られる貴重な花卉類は500種類以上あり、ラン、桜草、アザレアなど世界に誇る名花が150種類以上あります。また、山中の密林は野生動物の宝庫です。中でも枯葉そっくりな模様で敵をあざむくカレハチョウは有名です。そして峨眉山といえば、何と言っても野生のサルで知られています。サルは1,000年以上も前から山中に住み着き、人間たちと親密な関係を保ちながら暮らしてきました。峨眉山には「白猿献果」や「青猿洗鉢」、「猢猻為梯」といった人と関わる伝説が伝えられています。
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