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 世界文化遺産:承德避暑山庄  (10.07.14)






所在地河北省

 清の康煕12年、呉三桂ら3人の藩主が挙兵しました。「三藩の乱」と言われるものです。わずか20歳だった康熙帝が指揮を執り、乱を収めました。この乱において康熙帝は、武勇で名高い「八旗官兵」が長年の平和の中ですっかり闘志を失っていることを強く実感し、承徳から北300里の場所に狩猟地を作りました。毎年秋には皇帝自らが王侯大臣らを率いて同地に赴き、自分で弓を引くだけでなく狩にも参加しました。狩の最中に家臣らの力量を見るとともに、昇進についても参考にしました。
 また、狩猟地を作った最大の目的は、北方にいるモンゴルの各族を仮想敵とした国境警護だったのです。

 皇帝が狩猟に出かける時は、一切の公務も狩猟地に移りました。1701年、承徳・熱河にやってきた康熙帝は美しい景観を一目で気に入り、すぐに宮殿建設を決めました。1703年に熱河宮が起工し、康熙帝はデザインなど建設に直接携わりました。5年後に完成に漕ぎ着けた熱河宮は、康煕50年に康熙帝自らが「避暑山庄」と名づけたのです。

 避暑山庄は康煕・雍正・乾隆の3代、89年間にわたって使用されました。計約120の建物から構成され、総面積は頤和園が2個分、故宮が8個分に相当します。内部は宮殿区と景観区に分けられ、宮殿区は青レンガと灰色の瓦で中国の北方によく見られる「四合院」のスタイルです。建設当初、康熙帝は「天下の美しい風景を一ヵ所に集め、縮図を作りたい」と願ったため、景観区は湖・平原・山岳の3区域に分類され、それぞれ特色を持っています。

 避暑山庄の建設は、周辺の警備強化と一部の少数民族の懐柔も目的の一つでした。康熙帝はほぼ毎年、年の半分を避暑山庄で過ごし、政務処理やモンゴル諸族のリーダー達と接見を行いました。遠くからやってくる少数民族の代表者達にとって、北京まで赴かなくても皇帝に会うことが出来るだけでなく、共に狩猟にも参加し、中央政権との差が縮小されたのです。康熙帝は常に、避暑山庄の重要性について「長城よりも大事だ」と述べていました。

 1711年、康熙帝は避暑山庄にある36の景観すべてに4文字で名称をつけました。40数年後、彼の孫にあたる乾隆帝は36景観にさらに3文字で名称をつけ、合わせて「康乾72景」と呼ばれています。第二次アヘン戦争(アロー号戦争)が勃発した時、咸豊帝は避暑山庄に逃げ込み、ここで不平等条約に調印したほか、ここで息をひき取りました。戦争期間に避暑山庄へやって来たのは、皇帝のご機嫌伺いをする王侯貴族ではなく、北京から逃げ出した貴族たちや惨敗した清兵だけだったのです。

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