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 世界遺産:頤和園  (10.07.28)






所在地北京市

 乾隆9年(1744年)、重築を経て乾隆帝が圓明園を完成させました。完成後、乾隆帝は《圓明園後記》の中で、今後みずからが庭園を作ることは無く、子孫へも新たな宮廷庭園を作らないよう要求しました。しかし7年後、乾隆帝は母后の60歳の賀を祝うため、北京の北西郊外・瓮山にあった圓静寺址に「大報恩延寿寺」を造営しました。また、瓮山を万寿山に名称を改め、西湖を昆明湖としました。ここで、乾隆帝には「清漪園」を作る考えが新たに生まれたのです。

 中国では古来、造園のデザインについて3割が職人、残る7割が主人にかかっていると言われています。乾隆帝の場合、江南地方へ6回巡幸し、楊州、蘇州、杭州、無錫、海寧などにある私邸の庭園に遊びました。ここで見た自分好みの風景を、宮廷庭園を作る際にお手本として用いたのです。清漪園も、江南の庭園の配置を模して作られたものです。

 昆明湖の面積や周囲にある山並みとの調和、湖の中の風景配置など、全て杭州の西湖の縮小版として作られています。西堤と六橋は、西湖の蘇堤と六橋を模したものです。また、諧趣園は無錫の寄暢園を真似て作られています。

 乾隆20年、清漪園が竣工しました。庭園の風景を眼にして乾隆帝は非常に喜んだといいますが、美しい姿は長く続かず、1860年にイギリスとフランスの連合軍が北京に侵入し、清漪園もほかの庭園と同じく侵略者によって焼き尽くされたのです。

 その後1888年2月の元旦、西太后の還暦を記念して、光緒帝は再建が始まった清漪園を頤和園と改名する布令を出しました。頤和園の名称は「頤養中和(養生する)」からきており、長年政治に携わった西太后を慰労するものでした。
 頤和園は巨額の海軍経費を横流しして再建され、その関係で光緒20年8月、西太后は昆明湖で新式の海軍操練を行い、もともと「耕織図」があった所に「水操内学堂」を作ったのです。

 頤和園の中にはそれぞれ規模が異なる沢山の廟があり、その建築スタイルから清代の皇帝たちが仏教に深く帰依していたことが伺われます。他民族国家を強固なものにするため、清王朝の統治者らはチベット仏教を保護してモンゴル族やチベット族をとりまとめる手段にしました。このため、ラマ教の廟は、頤和園の中でも重い位置を占めています。

 頤和園の造園芸術は、中国の絵画や詩歌、音楽、文学と同じく高い文化を表現しています。頤和園は自然を根底とし、超越した自然と自然への回帰を表す宮廷文化の粋を尽くした名園として知られています。

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