 王朝・時代 |
 時 期 |
 ひとこと解説 |
| 夏 |
紀元前2070〜紀元前1600年 |
中国の歴史上初めて登場する国家。この後の商王朝ともども、奴隷制度を持つ王朝であったと言われています。 |
| 商 |
紀元前17世紀〜紀元前11世紀 |
「殷(いん)」とも言われており、現在の華南省西北地域を中心に発展しました。亀の甲羅や牛の骨を焼き、ヒビの入り方で吉凶を占い、内容をそれに記した「甲骨文字」が出現。今日知られている「漢字」の原型となっています。 |
| 西周 |
紀元前11世紀〜紀元前771年 |
「中原」と言われる華北平原を中心に発展し、西安郊外に都を置きました。現在にも続く、文官・軍人の支配体系を確立しています。 |
| 春秋時代 |
紀元前770〜紀元前476年 |
周王朝が外圧により現在の洛陽へ遷都した後、中国は各地の有力諸侯が覇を競い合う時代に突入。「春秋五覇」は、斉の恒王、晋の文王、秦の穆王、宋の襄王、楚の荘王を指します。 |
| 戦国時代 |
紀元前475 〜紀元前221年 |
春秋時代に続き、「戦国七雄」と言われる斉・楚・燕・秦・韓・趙・魏が覇権を争いました。 |
| 秦 |
紀元前221〜紀元前206年 |
「戦国七雄」のうち、秦が他の6ヶ国を滅ぼして覇権を確立。中国の歴史上はじめての中央集権国家を樹立しました。これまでバラバラだった。度量衡(長さ・重さ・大きさなどの単位)を統一し、万里の長城の大修復を行ったことでも有名です。この秦の始皇帝こそ、中国の歴史上初めて「皇帝」の名称を使った人物となります。 |
| 漢 |
紀元前202年〜西暦220年 |
強引な思想統制、過酷な労役などによって15年足らずで秦王朝は崩壊。「項羽と劉邦」による覇権争いが勃発し、それに勝利した劉邦が、長安(現在の西安)に、統一王朝・漢を樹立。中国の民族の主体を占める「漢族」はこの時期に形成されていきました。漢王朝は当時世界で最も繁栄した国のひとつであり、その首都である長安も、世界最大の都市のひとつでした。 |
| 三国時代 |
西暦220〜280年 |
華北を中心とする曹操の「魏」、四川地方を中心とする劉備の「蜀」、長江下流域を中心とする孫権の「呉」による勢力拮抗状態に突入。有名な「諸葛亮孔明」は、劉備率いる蜀の軍師でした。三国時代末期に入ると、魏の中心勢力だった司馬一族が、魏の政治権力を掌握し、他の国々を次々と滅ぼしたことで、三国時代は終焉を迎えました。 |
| 西晋 |
西暦265〜316年 |
司馬一族によって建国され、分裂状態にあった中国が再び統一されましたが、ほどなく一族内部での主権争いが表面化し、「八王の乱」という内部分裂戦争にエスカレート。最後は、北方遊牧民族「匈奴」に攻略されて滅亡。中国の歴史上はじめて、異民族によって滅ぼされた王朝となりました。 |
| 東晋 |
西暦317〜420年 |
西晋王室の末裔が、江南地方に樹立した小規模政権。この時期に活躍した有名な文人には、国家の衰弱した時代において個人としての生き方を痛烈に見つめた田園詩人・陶淵明や、山水詩人・謝霊雲などがいます。 |
| 南北朝時代 |
西暦420〜589年 |
東晋滅亡後、華北地方と江南地方にそれぞれ政権が並び立つ「南北朝」時代に突入。 |
| 隋 |
西暦581〜618年 |
北朝文化を受け継いだ楊堅によって、中国は再び統一に向かいます。しかし、南北を結ぶ大運河の建設や、朝鮮半島への度重なる遠征失敗などから民衆の支持を失い、わずか40年足らずで滅亡しました。 |
| 唐 |
西暦618〜907年 |
隋王朝の親族であった李淵(高祖)によって建国され、中国の多くの民族が統一・発展に向けて非常に躍動的な時代を築き上げました。朝鮮半島や日本でも政治の見本となった統治制度を確立した二代・太宗や、領土拡張を推し進めた三代・高宗などによって、唐は安定基盤を確立しますが、8世紀中頃になると、名君と言われた玄宗皇帝が楊貴妃との愛に溺れて政治をないがしろにしたため、度重なる軍事的反乱に見舞われるようになります。これを機に唐の衰退が始まり、反乱と制圧の繰り返し、そして宦官による不自然な政治運営の蔓延により、王朝としての影響力は次第に限定的なものになっていきました。唐の繁栄は、極めて大きな文化的成熟をもたらし、李白や杜甫、白居易、王維など、著名な詩人を次々と輩出したことでも有名です。 |
| 五代十国時代 |
西暦907〜979年 |
後梁・後唐・後晋・後漢・後周など、華北地域を中心とする小規模王朝や、その周辺地域に多数の地方政権が乱立し、群雄割拠の混乱時代が到来。いずれも大きな勢力伸張を実現することができず、興亡を繰り返しました。 |
| 宋 |
西暦960〜1279年 |
五代十国時代の後周の軍事勢力が周辺勢力を平定し、全国統一を実現。文官制度の確立を目指して、登用制度「科挙」の充実・完成を図りましたが、それは同時に軍事力の低下をもたらし、北部・西部の異民族勢力の侵攻に常に悩まされる状況をつくり出してしまいました。12世紀初頭、「金」に首都・開封を陥れられ、「北宋」の歴史に幕がおろされると、皇族の一部が、現在の杭州に「南宋」を建国。北方との融和路線を取りながら、豊かな国土・文化づくりを目指しました。この時代の「宋詞」は、「唐詩」と並んで有名です。 |
| 元 |
西暦1271〜1368年 |
中国の歴史上はじめて、少数民族が政権を掌握した王朝です。北方モンゴル高原で諸部族を統一したモンゴル族・テムジン(チンギス=ハン)が次々と周辺諸国を制圧。強大な軍事力を基盤に、中国だけでなく、アジア、そしてヨーロッパにもその影響力を拡大させました。念願の南宋攻略を果たしたフビライ=ハン死後は、後継者争いをきっかけに国が混乱。漢民族を中心とした反乱が各地で勃発し、モンゴル民族は、北方高原への撤退を余儀なくされました。 |
| 明 |
西暦1368〜1644年 |
一般農民出身だった太祖・朱元璋が、南京を首都に、漢民族政権として樹立。皇帝独裁を進める一方、モンゴル民族への警戒を強化し、政権途中から北京へと遷都。万里の長城の修復を盛んに進めましたが、倭寇(日本から渡ってくる略奪集団)や、豊臣秀吉の朝鮮半島侵攻への防備など、対外問題によって国力が疲弊し、衰退の道をたどりました。 |
| 清 |
西暦1636〜1912年 |
中国の歴史上最後の王朝となり、満州族が政治的実権を握りました。1840年、お茶の輸入と引き換えに大量の銀が中国に流出していることを懸念したイギリスが、大量のアヘンを中国に売り込んだことで、両国間の戦争に発展。1842年、戦争に勝利したイギリスに香港を割譲するなど、その後の歴史にも多大な影響を及ぼしました。続く第二次アヘン戦争や日中戦争など、海外列強による度重なる侵攻を受け、中国は「半植民地化」時代に突入しました。1911年、中国革命の父・孫文による辛亥革命により、滅亡。 |
| 中華民国 |
西暦1912〜1949年 |
1912年1月1日、孫文(孫中山)が南京にて中華民国の成立を宣言。これにより、2000年以上に及ぶ王朝政治に終止符が打たれました。この時代に、中国は二度の世界大戦と大規模な内戦を経験しました。1945年8月15日、日本の降伏により、中国の抗日戦争は終結。1949年4月、中国共産党率いる人民解放軍が長江(揚子江)を越え、国民党の拠点でもある首都・南京に肉薄しましたが、国民党は、台湾へと逃れていきました。 |
| 中華人民共和国 |
西暦1949年〜 |
1949年10月1日、戦後の主導権を握った国民党を共産党が凌駕し、毛沢東が天安門の楼閣にて、中華人民共和国の成立を宣言。現代中国の新たな扉を開きました。 |